アスドリアグ†
概要†
カテゴリー | 種族 |
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スペル | Asdriags |
解説†
東夷の中でも特に貧しい氏族で、主にリューンの湖とエレド・リスイに挟まれた地域に散らばって住んでいる。常に戦いと略奪の標的を求め、ダゴルラドやリョヴァニオンの辺境に出没する。
彼らは九つの部族から構成されており、その中で最も強力で支配的なのはクス家(Kus Clan)で、反対に最も下位に位置するのは 「弓師(Arrowsmith)」を意味するアシュキラ(Ashkira)と「細き刃(Sharp Blade)」を意味するヴェスリグ(Vethrig)であった。
女系社会で、巫女による神託に従う。他の重要な地位も女性で占められており、唯一、全ての部族を束ねる王であるフルドリアク(Hurdriak)の位だけは男性が受け継ぐ。
彼らの軍隊はフカ(Huka)という精鋭の戦士によって統率され、ウスレヴ(Usrev)という、剣と槍が一体化したような独特の形状の武器を使う事で知られていた。
歴史†
元はイオリアグ(Ioriags)という民を構成する九部族の一つで、第二紀の間、ハンドとモルドールよりもさらに東のプストラヴァ(Pustrava)という土地に住んでいた。だが第三紀1000年頃から、同族のヴァリアグやヌラド(Nurad)のヌリアグ(Nuriags)から攻撃を受けるようになり、1640年頃、やむを得ず灰の山脈の北側のガソド(Gathod)に移動した。
当時、リューンの湖周辺はゴンドールの宗主下にあり、派遣された総督の統治する州ドル=リューネン(Dor Rhûnen)が置かれていた。だが、既に多数の民族を抱えるこの地は、絶えず紛争の危機に晒されていた。要塞ソロンティア(Thorontir)の駐屯軍は、そうした不安定な情勢がアスドリアグの侵入によってさらに悪化することをを恐れ、彼らを東へ追い返すため度重なる遠征を敢行した。そして実際に、古くからの住民であるオドリアグ(Odhriags)やドナス(Donath)、ドルウィンリムも彼らを非常に警戒した。
彼らにあてがわれた土地は非常に狭いものであった。有力なオドリアグやブライガスの辺境の土地を分け与えてもらい比較的平和に暮らした者もいたが、それ以外の者たちは湖の西にある丘陵ピノン・リューン(Pinnon Rhûn)やエレド・リスイの山中に押し込められた者たちは獣を狩り、時には死肉さえ漁った。また、1635年から始まった悪疫も、元から数の少ないアスドリアグに追い打ちをかけた。
一方で、湖南岸の都市ミストランドでは、町の周辺に居住を許可された部族の巫女が、魔術によって徐々に市民からの敬意を集めるようになっていった。尼僧たちは平原の神ケルカッスク(Kerkassk)の信仰を広めようと活動し、評議会にも議席を得て、ついには議長オスヴォダ(Osvoda)と大司祭タラン=カルクヤ(Taran Karkuva)の位を兼任しようとするまでに至った。都市部の人間たちからの信頼を得たのと同時に、アスドリアグの戦士たちの名声も次第に高まっていった。このことは、彼らがリューンの有力氏族へとのし上がるための絶好の機会となった。
こうしてアスドリアグは、次第にイオリアグの祖先と同じ、好戦的な民に立ち返っていった。ケルカッスク(この神の正体は冥王サウロンその人であった)の信仰はミストランドを中心に浸透し、やがては馬車族の勃興に繋がった。
出典†
- 『Northern Mirkwood』
- 『Riders of Rohan』
- 『Mirkwood: The Wilds of Rhovanion』
- 『Perils on the Sea of Rhûn』
- 『Dagorlad and the Dead Marches』
- 『The Inland Sea』
コメント†
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